加藤清正の印象が大きく変わった本

加藤清正の印象が大きく変わった本

白金台1丁目には、加藤清正にゆかりのある覚林寺があります。清正公とも呼ばれ、この建物の最寄りの交差点の名前も、「清正公前」となっています。

また、毎年5月には、覚林寺を中心に、清正公大祭が催されます。お祭り当日にこのエリアを訪れると、かなりの人で賑わっている様子が見られます。このような背景から、白金・白金台エリアに暮らしていると、多少なりとも、「清正公」つまり加藤清正に興味がわくものです。

先日、池波正太郎の真田太平記の文庫本の9巻(真田太平記(九)二条城)を読んだ結果、その加藤清正について、大きく印象が変わったので、ご紹介します。

まず、真田太平記は、真田一族が主人公の小説で、文庫本は全12巻で構成されています。この物語は、武田勝頼が滅亡するところから始まり、本能寺の変、豊臣秀吉の天下を経て、関ヶ原の戦い、そして、大坂の陣までの真田一族の運命が話の中心です。

加藤清正は、この時代の人なので、何度かこの小説の中に登場してくるわけですが、9巻でもの凄く格好良く描かれています。9巻では、関ヶ原が終わり、豊臣秀頼が上洛する家康に挨拶に来るか来ないか、という時代を舞台にしています。

その中で、この小説の中では、加藤清正は武人であるだけでなく、一流の建築家であり、藩の経営者であり、外交力のある政治家であり、と凄く深みのある人物として描かれています。

私は、これまで加藤清正像として、「槍を振り回して、おりゃおりゃおりゃ」と戦う、猪武者のような印象を持っていました。三国志で例えるなら、張飛のようなイメージです。戦略シミュレーションゲームのステータスで言うなら「武力95、知力40、政治30」のような武将で、「戦には強いけど、内政は弱い」のような感じです。

それが、真田太平記の9巻の加藤清正の描かれ方を読んで、全く変わりました。「加藤清正がこんなに凄い人だったのなら、家康が恐れて毒殺を企てるのも無理はないな」と思いました。この本を読み加藤清正像が一変した結果、加藤清正が築いた熊本城や名古屋城を見に行きたくなるくらい印象が変わりました。

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